巨匠カザルスの高弟であり、かつ、その後継者としてわが国が世界に誇るチェリスト。作曲家平井康三郎の長男として東京に生まれ、小学校時代すでにピアノ協奏曲ほか約100曲を作曲し、ピアノで演奏会、放送にしばしば出演。また桐朋学園でチェロを斎藤秀雄氏に師事。第23回音楽コンクール第1位特賞、第1回文化放送音楽賞特賞、第1回カザルス国際コンクール特別賞、ソ連作曲家同盟特別賞など数々の内外コンクールで受賞。1957年より5年間、世紀の巨匠パブロ・カザルスに師事。師とともに欧米各地を楽旅しつつ研鑚を積み、チェロ音楽の蘊奥を究めた。1961年4月、巨匠カザルスは愛弟子の晴れの帰国デビューを飾るため特に来日し、平井は恩師の指揮により、東京と京都でドヴォルザークなど四大協奏曲を演奏、皇太子・美智子妃殿下(当時)の御来臨を得て華々しくデビュー。以来ソリストとしての演奏活動は全世界40カ国にも及び、至る所で輝かしい成功を収めている。
カザルスは平井丈一朗を伴ってニューヨークの記者会見に臨み、世界中から集まったジャーナリストを前に「平井こそは我が後継者」と語っている。また、ヴィラ=ロボス、ショスタコーヴィッチ、ハチャトリアン、カバレフスキー、ブリテン、山田耕筰(以上、作曲家)、クライスラー、エルマン、シゲティ、メニューヒン、スターン、コーガン(以上、ヴァイオリニスト)、ピアティゴルスキー、フルニエ、トルトゥリエ、ローズ、ロストロポーヴッチ、ジャクリーン・デュプレ(以上チェリスト)、コルトー、ホルショフスキー、ケンプ、イストミン、ゼルキン(以上、ピアニスト)など20世紀を代表する巨匠たちと共演、あるいは親交をもっていた平井丈一朗は、クラシックの黄金時代と共に生き、その遺産を現代に継承している。
1976年ニューヨークの国連シンフォニー協会の要請によりレナード・バーンスタイン、クラウディオ・アラウ、ラヴィ・シャンカールらと共に同協会国際顧問となる。1979年、世界でも例のない“弾き振りによる”三大チェロ協奏曲の夕べを開催。1980年以来、外務省及び国際交流基金の派遣により、日本国芸術使節として中南米7カ国並びに東南アジア諸国を歴訪、熱狂的歓迎を受ける。1988年1月、皇太子徳仁殿下をお迎えし、自作「イスラ・ヴェルデの詩」を含むユニークなプログラムによりリサイタル開催。同年、米国ワシントンD.C.で開かれた第1回世界チェロ大会に、ナンシー・レーガン大統領夫人より招待を受け、特別ゲストとしてオープニングコンサートで演奏し、多大の感銘を与える。
1990年代以降の多彩な足跡の中からいくつかを拾うと、ジュリアード国際音楽サマースクール首席客員教授、ヴァージニアの国際音楽祭芸術監督として、更にワシントンD.C.国立ケネディ・センターの全面招聘による米国公演での圧倒的成功などがある。一連の“ワールド・ハンガー・コンサート”にも力を入れ、世界飢餓救済に尽くすアーティストとしても活躍、また1995年ポーランド楽旅に際して行った“平井丈一朗アウシュビッツ・コンサート”では満員の会場が深い感動の渦につつまれた。また、作曲家としては、管弦楽曲、ピアノ曲、チェロ独奏曲、歌曲、合唱曲など幅広いジャンルに特筆すべき業績を残し、他方、米国キャピタル音楽協会チェアマン、国際コンクール審査員、国内では詩と音楽の会会長、日本音楽作家団体協議会(FCA)理事なども務めている。『Who’s Who in the World』(欧米版「世界紳士録」)に載る数少ない日本人の一人。